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鹿路越から壺阪峠

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 長い間更新せず申し分けありません。毎日20カウント近い方に訪問いただき感謝しております。
更新しなかったのは大した理由は無く、自転車の催しがことごとく仕事とかち合ってしまったのと、身の周りに欲しかった自転車や部品がそろってしまいテンションが下がっていたのが原因です。
 ツールドフランスが始まりテレビで見る様になり、やっとその気になり始め、今日サイクリングに行ってきました。
久しぶりのランは新鮮です。
 コースは談山神社-鹿路越え旧道-壺阪峠-高取町旧市街です。
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談山神社への登りです。対岸に紫陽花(アジサイ)が咲いています。
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奈良盆地が一望できます。
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鹿路越えの登り口にもさきほどものよりも遙かにキレイな紫陽花が咲いています。いままで花の写真は全く撮ることはなかったのに、自分の中に何か変化が起こっているのかな。もう57歳だしオジンの入口にいるもんね。
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新鹿路トンネルです。この下には新新鹿路トンネルが出来ています。ということはこの上には本当の峠道がありるのかな。トンネルの入口で休んでいると心地良い風が吹いてきます。
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壺阪峠の南側登り口にある安産の滝です。この滝にあたると安産できるとのことですが、冬にあたると逆効果かも。今日はものすごく暑いので滝壺に立つと涼しい風と水しぶきが最高です。
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壺阪峠です。
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この峠からも奈良盆地が一望できます。右側に見えるのは二上山ですね。
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高取町の旧市街です。高取城の城下町として発展したところです。
 

葛城古道1/2

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葛城古道を半分だけ走ってきました。
7~8年位前に、友人のNBさんに誘われて参加した輪童さんのランと同じコースです。
このコースは以下の輪童さんのサイト載っているのですが、最近まで載っているのを知らず、何せ走る道が複雑なため長年走れず困っていました。
自宅から当麻寺まで走って道を間違いながらこのコースを長柄神社まで走り帰宅しました。
何せ熱い日でしたもんで。
私の自宅の近くの畝傍山が見えます。
今日の愛車は1968年製のサンジェです。変速機をユーレー ルックスツーリングの前後セットに、ブレーキシューをクールストップの茶に変えて快適です。
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葛城古道は山の中腹を走っているので、すばらしい景色が広がります。
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有名な番水の時計です。中に時計が入ってます。
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途中、田んぼのあぜ道を歩き、こんな道に出ます。
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葛城古道2/2

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長柄神社から後半を走ってきました。
後半は高天彦神社まで急坂が続きます。(距離4km、標高差250m)
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高天彦神社に着きました。この地域は天の岩戸伝説がある所です。
この神社は葛城族の守護神社です。大和朝廷が奈良を統一するまでは、葛城族が力を持っていたそうです。
この後ろにある白雲峯を守護神としています。
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近くの橋本院にも立ち寄りました。ここは花の寺として知られています。蓮の花が咲いていました。
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標高が高い(450m)ので奈良盆地が一望できます。中央に畝傍山が見えます。
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一気に風の森峠まで高鴨神社を経由して下ります。
高鴨神社は京都の下鴨神社の元宮です。京都の神社や寺の多くは奈良が発祥です。
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TOM2012に参加してきました。

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15日に会場となるシャレー中西に宿泊し、同行の二人と16日のコースを相談しました。
当初は平湯峠旧道を通り新穂高ロープウェイに乗って帰ってくることにしていたのですが、平湯峠に車を置いて、乗鞍岳山頂までを往復することになりました。
宿屋を出発です。
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旧平湯峠に到着。イメージ 7
途中の休憩所で休憩。イメージ 8
序盤は谷間を走るために、周りの景色が見えません。ひたすら登ります。
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少しずつ北アルプスが見えて来ます。
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少しずつ視界が広がってきます。
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高山方面が遙か下方に見えます。
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ここまで来るともう視界を遮るものは有りません。日本一の絶景です。
ツールドフランスの超級の峠と同じです。この道を下ることが出来るなんて夢の様です。
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穂高連峰が真正面に見えます。うーすごい。
 
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到着です。山頂は15℃位で、寒いです。
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近くの龍王岳にも登りました。わずか60mですが、標高は2,767mです。私にとって人生最高到達地点です。
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お待ちかねの下りです。
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この後私は同行の二人と別れて宿舎のシャレー中西まで下りました。なんと標高差1,900mです。
満喫出来ました。

NCTC京都11月例会

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以下の通り実施します。
 
                                葛城古道を走る

日  時:2012年11月4日(日)
     雨天の場合は11日(日)
集合場所:近鉄橿原神宮前駅 中央口  8時0分
コ ー ス:近鉄橿原神宮前駅→当麻寺→葛城山麓公園→ラッテたかまつ(休息)
     →一言主神社→名柄神社→住吉神社→高天→高嶋神社→風の森峠
     →近鉄橿原神宮前駅 
  ※・11月3日19時の時点で葛城市の降水確率が50%以上の場合は延期します。
   ・食事場所はありませんので、弁当を持参願います。
   ・ゲスト参加もOKです。
 
詳しい地図が必要な方は輪童さんの以下のサイトにあります。
葛城古道亀ポタガイドhttp://camepota.net/guidebook/index.htm

レイノルズチューブの歴史

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レイノルズチューブの歴史
クリス ローエ
レイノルズ社の創業は1841年で、ジョン・レイノルズが釘のメーカーとして店を持った時です。事業は、彼が引退した後も、彼の息子のエドウィンとアルフレッド・ジョンが引き継ぎ、34年の間続きました。悲しいことに、エドウィンは1881年に亡くなり、アルフレッド・ジョン・レイノルズが一人で経営していました。1890年にはアルフレッド・ジョンの2人の息子(ジョン・ヘンリーとアルフレッド・ミルワード)が経営に加わりました。
 
世紀末には、同社は釘事業で優れた評判を得ました。そして、アルフレッドM.レイノルズは同社を拡大してゆきました。1895年に、彼はその頃の多くのフレームビルダーを困らせていた問題である薄い軽量チューブをパイプを接合する接合部分の強度を弱めずにを接続する方法について調べ始めました。それは、まさにレイノルズ社(すべての自転車メーカーの以外)の将来に渡り永遠に解決しなければならない問題でした。   レイノルズがチューブの端の厚みを増やす方法を取り、その一方で、パイプの外径は増やしませんでした。これは、本当に大きな進展でした。     その時まで、フレームビルダーは、強度を得るために接合部分を補強するか、重くて厚い管を使うために、手でライナーを各々のチューブの端に挿入しなければなりませんでした。1897年にアルフレッドM.レイノルズとJ.Tヒューイット(会社の従業員)は、彼らの「バテット」チューブに関する特許を取得しました。
 
1年後に、アルフレッド・ジョン・レイノルズと彼の息子(発明の才のあるアルフレッドM.レイノルズ)はパテントバテットチューブ社を、ジョン・レイノルズ社から分離することに決めました。1902年に彼らは自転車チューブの最初のカタログを出版しました。一冊のレイノルズの誇られるカタログに載っているバテットチューブはわずか4 1/2ポンドの重さになっていました。自転車産業における競争は激しかったですが、レイノルズは良く知られているサイクリング誌によって最高であると認められました。やがて同社はハンドルバー(それは、その時に鉄でできていました)も製造します。
 
1914年に戦争がヨーロッパ中で発生しました。そして、レイノルズ社は軍の自転車とオートバイのためにパイプを製造するために政府から契約書を受け取りました。1916年に彼らは航空機で使用するためにパイプを製造するという重要な契約を受けました。レイノルズ社は現代まで航空宇宙産業に密接に関わっていて、これらの契約は重要でした。戦争に関連する契約が増えたため、同社は本社を現在のより広大な場所に1917年の秋に移転させました:ヘイホールとして知られている大きなチューダー様式の家。その後休戦になり、休戦協定に調印することは戦争契約にとって終わりを意味しました。そして、これによりレイノルズ社はその製品の新しい市場を見つけることが必要になりました。開拓される市場のうちの1つは自動車市場でした。そして、レイノルズがますます人気が出てくるようになっていた自動車用フレームに使用するための管を供給し始めるのは長くかかりませんでした。世界が戦争集結の結果平和に戻り始めたので、1923年にバテットチューブ社は彼らの名前をよりすぐに分かる様に「レイノルズ・チューブ社」に社名を変えることを決定をしました。1年後には、新しく名前を変えられたレイノルズ社は、「レイノルズH.M.クオリティ」を導入することによって自転車取引で得られた彼らの経験の一部利用して航空機用のパイプを製造しました。
 
このH.M.はハイマンガンで出来ていることを意味していました。そして、このパイプはすべてのレイノルズ社のこれまでのチューブセットよりもすぐれていました。この高いマンガンの含有とレイノルズの他の全ての後のチューブにおいて、クロームモリブデンが使われていない点は(使われていてもクロームだけ)、レイノルズパイプについて言及するときは不適当なこととして注意すべきです。適当な語は、マンガンモリブデンです。H.M.は、以後の11年間は最も優れたパイプでした。レイノルズのこのような活動は世界では気にされることはありませんでした、そして、1928年にレイノルズにとっては思いもかけないことにチューブインベスティメント社(T.I社としてより有名)になってから大きな反響が来ました。
 
レイノルズは、英国空軍の要求に応ずるためにアルミニウムを細工してい始めました。しかし、レイノルズがアルミニウム自転車パイプを生産し始めたことは過去に2年間だけでした(アルミニウムは大きな荷重を加わる自転車にとって理想的な材料であることからほど遠いからです!)。彼らの航空機利用への努力のより早く出た成果は、伝説的な「レイノルズ531」チューブセットの1935年の開発でした。チューブセットは、現代まで人気が続いています。しかし、531の人気はメーカーの意図とは関係無く起こりました。それは、責任者で金属技術者のマックスビッグフォードが航空機用パイプの溶接技術を持っていたことで、彼が優れたサイクルチューブセットを作る潜在能力を持っていた。ディレクターのオースチン レイノルズが一緒に仕様書をまとめ上げました。531の開発は、サイクリストツーリングクラブ(CTC:英国)がサイクリングのスポーツの発展に最も賞賛に値する貢献をしたものとして、レイノルズに対して表彰状を与えたように重要なことでした。
 
1930年代後期には、当時のいかがわしいドイツ軍のグレートブリテン担当の指導者達の注意を引いていました。そしてすぐに、英国のスーパーマリン・スピットファイアー戦闘機の材料として導入されました。スピットファイアーはその時におけるエンジニアリングの驚異でした、そして、レイノルズがその生産に管を供給するように求められるのは当然ででした。1939年内には、ドイツとの戦いが回避不能に見えました、そして、レイノルズは、初めてこれまでに、自転車用のパイプの生産をやめることを強制されました。第二次世界大戦が拡大したので、レイノルズはその社員を増やして、新しい工場を開いて、24時間体制で生産を維持しました。これらの大変な時期に、また、かなり多くのレイノルズ社の従業員もホームGuard(米国国家警備隊と同様であるが、完全に英国の本土の防衛にだけ専念する組織)に勤めたことは注意すべきです。実際、それほど多くの従業員は、レイノルズ社の人間としてホームGuardに進んで参加しました。
 
戦争の間に、レイノルズ社はへのスピットファイアー本体からそれに搭載するPIAT(バズーカ砲の一種)の発射部分に使われるほとんどの管の生産をしました。全部で、レイノルズは合金管で77,000,000フィート(14,602マイル)と鋼の管で53,000,000フィート(10,038マイル)を生産しました。これらは、戦争中に2,100人未満の従業員を数えた当社の労働力によって生み出されました。戦争が結末向かうにつれてレイノルズ社の生産も急速に減っていきました、そして、1947年に、アルミニウム管の生産を取り扱うために、彼らは別々の会社(「レイノルズLight Alloys」)をつくりました。
 
1958年に、ルクセンブルクの選手であるシャーリー・ゴールは、レイノルズ531で作られたフレームにまたがって、トゥール・ド・フランスで勝利(当時の記録では平均時速22.8km/h)しました。これは、フレーム材料としてトゥール・ド・フランスおける完全な支配となることの始まりを意味しました。19581991年に(レイノルズのフレームパイプを使って勝利を得た年)、レイノルズパイプが、26人のトゥール・ド・フランス勝者の自転車で使われました。アンクティル、メルクスとイノーは、彼らのトゥールの勝利(インデュラインも、1991年に彼の最初のトゥール勝利でそれを使いました)で、すべてレイノルズを利用しました。
 
レイノルズ社がレイノルズ753パイプの開発でより優れた性能の材料を供給できたことで、従来のレイノルズ531パイプに比べ1976年までなかったような優れた点に注意する価値があります。753は、179,200psi(コロンバスSLX121,000psiと比較して)の最高抗張力において非常にすぐれた熱処理管です。熱処理プロセスも、伝統的な作り方ではなく銀ロウ使いより低温で作業する必要があります。これはより慎重が熱管理をしないと753を使うことができないことを意味します。実際、753のパイプをレイノルズから購入させておかれる前に、フレームビルダーは、テストサンプルを最初に提出しなければなりません。ビルダーが認められれば、彼らはレイノルズ(多くのフレームビルダーの間の誇りを得て)によって保証されます。1977年に、753の開発に成功した後、「レイノルズ社」に名前を変えました。753が高度な製法を必要として、大量生産に不適当であるので、今でも531パイプは非常に人気があります。サイクリングのスポーツに対して貢献したとして、レイノルズ531が「Guidon D'Or」(ギドンドール/金色のハンドルバー賞)を1980年に受賞しました。この賞はこれまでわずか3社(プジョー、BPフランスとペルノッド)しか受賞していません。そして、その前の4回はフランス国外の会社に与えられました。
 
1980年以降、レイノルズ社は入門レベルのレース自転車を目的とする501パイプの色々な種類のパイプを発売しました。チタンを複合物した新しい853まで多種多様なパイプを開発しました。レイノルズ社は、より重いライダーと短距離選手に対応するためのオーバーサイズパイプ(731os)、以前のパイプを復刻いした(708クラシック)チューブセットも導入しました。彼らは、タンデムとマウンテン・バイク使用できる様に、753の管の使用範囲も拡大しました。更に、パイプの提供を2ダース単位で供給できる様にしたり、レイノルズはダブルバッテットのチタンとアルミニウムパイプを提供します。
 
レイノルズ社は、本当に革新的な伝統を待っています。つまり、彼らは本当に新しくて、ちょうどマーケティングによって得られた要求に応ずることのために新しいチューブセットを新しい製品を開発しています。それは、結局、40年以上が531パイプの販売と753パイプの間で過ぎた点に注意する価値があります。それは、ちょうどレイノルズ社を他の顕著なイギリスの会社(例えばブルックス社とキャラダイス社)と同じクラスに入れるくらい長命です。そのような製品は、彼らのマーケティングの強さよりもむしろ彼らのデザインの知性のため、製品の発売の数十年間も競争力を保ちます。彼らはファッション、流行とラベル(「レトロ」を含む)にも流されず、単に所定の目的が利用できる最高の製品であり続けます。
This article originally appeared in the Rivendell Reader, issue 6.
Reprinted with permission. Thanks G.P.

FCTバッジ

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FCTのバッチだと思うのですが、入手しました。
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大きい方はφ27でベレー帽とかに付けるといいですね。
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小さい方はφ18でブレザーやセーターの胸に付けるといいですね。
裏側は以下の様になっています。
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コイルばね

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新しく入手した自転車の直付けポンプペグがなぜか分かりませんが、中途半端な位置に取り付けられており困り果てていました。
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18インチのポンプを一杯に絞っても約3mmくらい長くて取付られません。17インチでは短すぎます。
そこでポンプの頭の部分に入っているバネを短いものに交換すればいいと分かりました。
早速ネットで調べますと「ばねこむ」と言うお店で丁度いい直径、線径、長さのばねが見つかりました。
5本単位での販売ですが、単価は400円でした。
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左側のばねが当初付いていたばねです。見た目はほとんど違いません。

自転車・在庫棚卸し

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現在所有している自転車の確認をしてみました。
台数 15台
(国別) ・フランス  6台
      ・日本    5台
      ・イタリア  3台
      ・イギリス 1台
(メーカー別)
     ・東叡社                5台
     ・ルネ エルス              3台
     ・アレックス サンジェ         2台
     ・ジタン                 1台
     ・チネリ                 1台
     ・ロッシン                 1台
     ・オルトレール              1台
     ・ローバー アレックモールトン  1台
(タイヤ別)
     ・700Cチューブラー 4台
     ・650B-42B     3台
     ・650B-32B     2台
     .650B-35B     1台
     ・700C-28C     1台
      ・700C-26C     1台
     ・26インチ-1     1台
     ・20インチ-1.5   1台
(リヤ変速機別)
     ・パンタグラフ      11台
     ・ダブル ワイヤー    3台
     ・カンビオ コルサ     1台
(リヤ変速機メーカー別)
     ・ユーレー         5台
     ・サンプレックス     3台
     ・シクロランドナー    3台
     ・カンパニョーロ     3台
     ・スラム          1台
 
タケノコ後変速機の付いた自転車が1台も有りません。

京見峠

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京見峠に行ってきました。
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鷹峯から車道を上り、下りは旧道を下りました。旧道は長坂道と呼ばれている道の一部です。
約35年ぶりに走りました。
旧道入口です。
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少し走るとフラットな道ですが、この後は乗って下れないほどの急坂になります。
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石川サイクリングロード

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14日は私の所属しているクラブの例会です。ただ、今回は担当者のアクシデントで出席できなくなり、急遽私が道を知っているとのことから担当となりました。
当日はクラブ員12名、ゲスト2名の径14名が参加頂きました。
 
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コースは柏原市役所と河内長野駅の往復です。ひたすら川沿いを走ります。最初は曇りがちでした。
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下の写真は私の勇姿??です。
自転車はローバー モールトンAPBです。タイヤはシュワルベ マラソンレーサーに換装しています。
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有名な「石川サイクル橋」で休憩です。
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途中の錦織公園で記念撮影です。
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今回は担当者が初めての担当であったこともあり、入門的なコースでしたがそれなりにゆっくり出来ました。
昼食の場所もリーズナブルで大変美味しく、サラダは食べ放題、+100円でコーヒーも付き、みんな大満足でした。
ちなみに、昼食場所は河内長野駅の近くで、「K’s キッチン」と言うところです。こんどは家内を連れていきたいですね。
食べログのサイト

ポリージャポン2012に参加して来ました

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ポリージャポン2012に参加して来ました。今回で20回目ということです。
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記念品として特製のチェーンプロテクタを1本いただきました。色は白、茶、黒があります。
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美味しい夕食の後は、例によって例のごとくイベントが始まりまります。
今年のテーマは「この20年間の思い入れの自転車」です。
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私の出品車はAlex SINGERです。
 
 
翌日は記念撮影の後ゆーぷる木崎湖に車を置き、小熊黒沢林道を走りました。
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登り口です。
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山腹を登っていると突然視界が開けます。鹿島槍ケ岳や五竜岳が眼前に見えます。
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ピークに到着すると、眼下に木崎湖を一望できます。この場所はハングライダーのメッカです。
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この後2回ピークがありますが、尾根沿いの道ですのでわずかな起伏です。
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この後、鹿島槍ケ岳スキー場に出ます。
今回は黒沢の方から出発地まで戻ります。出発地点まではほとんど下りで車もほとんど無く、しかも直線の道が多く今日の愛車(タイヤ700C-26C)にはピッタリです。
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距離は約30kmで、所用時間は約2時間30分でした。
山に雪が残っている春に来ることを心に約束して帰宅しました。

コッターピン抜き工具を作りました。

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コッターピン抜き工具を作りました。
最近入手した自転車のクランクを外す必要が出来たのですが、コッタードクランクののため手持ちの工具が有りません。以前はハンマーでたたいていましたが、ネジが変形していまいます。
そこで市販品を探したのですが、気に入ったものが無く自作しました。費用は5,000円でした。
コンパクトで大変気に入ってます。
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大きいボルトはM12で最初から先端がくぼんでいて、コッターピンのボルトの先端に上手くはまります。
 
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左手で手前のM8のボルトを持ってクランクにあてがい、上のボルトをレンチで回します。
写真は組み上がったところですが、実際に作業して見ると軽い力でコッターピンを外せました。
 

正倉院展に行ってきました。

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正倉院展に行ってきました。
私は奈良在住24年、家内にいたっては50年ですが一度も行ったことがありませんでした。
9時40分頃で長蛇の列です。11時頃には60分待ちでした。
内部の写真撮影は禁止ですので写真はありませんが、案内用レシーバーを500円で借りました。展示物の前で展示物の番号を入力する(21ケ所)とヘッドホンから有名なナレーターの斉藤茂一氏の声で説明が聞けます。
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有名な瑠璃杯だけは1室だけを使って展示されていました。
㈱東京ヴァリエでレプリカが発売されています。少々高価です。
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この後世界遺産の春日大社に行きました。こちらも初めてです。
社殿は簡素なもので、ご神体は後ろの春日山です。古代の神社の形態です。
また、ここは興福寺と並んで藤原氏守護寺で奈良時代の権力の強大さがうかがえます。
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TOM2012に参加してきました。

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15日に会場となるシャレー中西に宿泊し、同行の二人と16日のコースを相談しました。
当初は平湯峠旧道を通り新穂高ロープウェイに乗って帰ってくることにしていたのですが、平湯峠に車を置いて、乗鞍岳山頂までを往復することになりました。
宿屋を出発です。
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旧平湯峠に到着。イメージ 7
途中の休憩所で休憩。イメージ 8
序盤は谷間を走るために、周りの景色が見えません。ひたすら登ります。
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少しずつ北アルプスが見えて来ます。
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少しずつ視界が広がってきます。
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高山方面が遙か下方に見えます。
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ここまで来るともう視界を遮るものは有りません。日本一の絶景です。
ツールドフランスの超級の峠と同じです。この道を下ることが出来るなんて夢の様です。
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穂高連峰が真正面に見えます。うーすごい。
 
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到着です。山頂は15℃位で、寒いです。
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近くの龍王岳にも登りました。わずか60mですが、標高は2,767mです。私にとって人生最高到達地点です。
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お待ちかねの下りです。
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この後私は同行の二人と別れて宿舎のシャレー中西まで下りました。なんと標高差1,900mです。
満喫出来ました。

万葉の森に行って来ました。

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万葉の森に行って来ました。
近鉄香具山駅かJR耳成駅から橿原市昆虫館に行く途中に万葉集に出て来る植物を集めた森です。
今日は最高の天気なので、散歩に行って来ました。
 今日の自転車は「アレックス モールトン ローバー APB」です。
奈良ならではのテーマの森ですね。橿原市昆虫館もあることから、このあたりには虫の王国で、昔の里山が残っています。
 
橿原市昆虫館から森に入る入口です。
入口は2箇所あり、この写真は東側です。 
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そのまま入口を入ったところです。
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森を抜けると視界が開けます。路肩の木にはみかんが菜っています。
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こちらは西側です。
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そのまま行きますと路肩に植物の案内版が設置されています。
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森を越えるとすぐに潅漑用池に出ます。
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芋ケ峠から高取城跡

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芋ケ峠から高取城跡に行って来ました。
芋ケ峠まで自転車で走って、その峠の頂上から高取城跡まで林道が出来ています。
ここからしばらくは歩きです。
 
今日の装備です。靴を登山靴に履き替えておきます。自転車は担ぎやすい様にローバーAPBです。
車輪が20インチですから、狭い場所での取り回しが楽です。バーもオールランダーで頻繁なブレーキングが可能です。
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林道に入るとすぐに大台ケ原が見えます。
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紅葉も盛りです。
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しばらく行くと林道の終点です。
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ここからは尾根づたいに歩きます。やがて高取城跡に至ります。
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城跡は紅葉真っ盛りです。
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この後、車道は走って戻るのはやめて、当時の城への道で城下町に通じる二の門方向に下って行きます。
途中国見櫓からの展望です。奈良盆地の向こうに大阪の高層ビル群が見えます。
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この道は石畳もなく山道そのものです。
当時の人はよくこの道を使って城に資材を持って上がったものだと関心します。
 城に行く道の入口です。
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曽爾高原に行って来ました。

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曽爾高原に行って来ました。
すすきのシーズンであり、今日は絶好に天気です。
ふもとの「お亀の湯」に車を置いて、曽爾高原、長尾、みつえ牧場、上今井、相輪、下小場、お亀の湯の周回コースです。走行距離約20キロ。
 
お亀の湯です。
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少し登ると曽爾高原です。すすきの海です。真ん中のお亀池もすすきで埋まってます。
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そのまま下ってゆくと山頂に曽爾高原が見えます。山の頂上がくぼんだ所に湿地帯できて、すすきがしげったんですね。死火山の跡かも知れませんね。
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川まで下りきり、川沿いに走っていると有名な屏風岩が見えてきます。一枚の巨大な岩です。
映画の未知との遭遇に出て来るテーブルマウンテンのようです。
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途中、再び曽爾高原が見えました。
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大和郡山城、秋篠寺に行ってきました

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大和郡山城、秋篠寺に行ってきました。
今回も長い間奈良に住んでおりながら一度も行ったことの無い所です。
紅葉もピークは過ぎていますが、まだまだ見ることができます。
 
寺川沿いを大和郡山に向かう途中です。
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すすきは今がピークです。
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大和郡山城です。
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中に入るとかなり大規模な城壁が目に入ります。
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天守閣跡からの眺めです。奈良盆地も良く見えます。
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柳沢文庫前です。紅葉が鮮やかです。
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追手門です。地元の方々の力で再建されました。
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自転車道を走り、奈良競輪場近くの秋篠寺の入口です。紅葉が美しいです。
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講堂です。入場時にいただいたパンフレットによりますと、戦乱で1135年に大半の建物が消失してしまい、明治初年の廃物稀釈で周辺の土地も失ってしまったとのことです。
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2012年年忘れラン

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5年前から参加している年忘れランに行って来ました。去年は不参加でしたが。
ドタキャンがあり当日は5名になりました。
今回の一番の問題は天候でした。なんと電車に乗っている時は降っていたんですが、集合地の伊賀上野駅に着くと雨がやんでました。午後は晴れ間も見えるほどに回復しました。
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今回もお世話頂いたK氏は歴女ならぬ歴男で途中の歴史談義が楽しみです、と思っていたらスタートしていきなり三重国府跡に、
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遅くなりましたが2日間のコースは以下の通りです。
伊賀上野駅~大山田村~青山町~名張市(泊)~笠間峠~山添村~月ヶ瀬村~島ヶ原村~上野市~伊賀上野駅
 簡単に言えば、上野盆地の外側の淵をたどって一周するコースです。伊賀街道も走ります。
 
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盆地の外側の道は名も無き峠があり、しっとりとした落ち着いた雰囲気の道に出会います。
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ペンションに着いたのは17時頃になり、周りは真っ暗になってました。
小高い丘を4回位越えて最後のペンションへの登りは結構足に来ます。I氏は両足がつってしまい、ペンションの方に車で迎えに行っていただきました。お風呂は薪で焚く方式で、水を入れてさまして入る昔懐かしいものでした。
お待ちかねの夕食です。今日の行程で汗をかいた分食事が大変美味です。
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うまい具合に夜の間だけは雨が降ってましたが、翌朝は好天です。
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I氏とはここで別れ、今日は笠間峠を越えて伊賀市までのコースです。
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途中F氏とも別れ3名になりました。
12時頃には到着し、わかやで田楽定食Bをいただきました。
私はここで別れまして、上野市から輪行で帰宅しました。
 
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