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年末恒例 石川ポタのお知らせ

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UGの兄♭♭♭ 様より 
 
ご案内が大変遅くなり申し訳ありません。24日に開催したいと思いますのでよろしくお願いします。車種不問のまったく気楽なポタリングなので、女性やお子様もお気軽にどうぞ

日時:12月24日(祝)
集合:柏原市役所前(無料Pあり)AM9:30集合
行先:石川の自転車道(南河内サイクルライン)の「OHCHOの森」(サイクルブリッジ傍)。距離は約10km

現地で昼食クッキングを行います。キャンピング仕様で炊き出しをしてくださる方歓迎です。各自一応の食事の用意と水や食器の持参をお願いします。
またビンゴゲームでプレゼント交換を行います。各自1000円程度(上限不問)のプレゼントをご用意ください。

プチ・ランデヴーアレックスサンジェに行って来ました

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23日にプチ・ランデヴーアレックスサンジェに行って来ました。
私は去年からサンジェオーナーになったのでまだ新人です。でも現在2台所有しています。
最初に入手した1台は今改装中です。
いつもと同じ立木観音ふもとの瀬田川沿い駐車場に集合です。
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今回の自転車はペルフォーマンスです。
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コースもいつもと同じで、信楽往還で昼食は信楽・長野の朝宮のカレー屋さんです。
Cセットを食べましたが、香辛料が効いていて汗だくになりました。
 
ティータイムはミホミュージアムの喫茶店です。
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今日はサンジェ10台。もしかして自転車では日本一高価なショットかも!!
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自転車談義に花が咲きます。
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ミホミュージアム前で記念写真
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今度はエルスのランをしてほしいな~~~。

2013年あけましておめでとうございます

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2013年あけましておめでとうございます
 
二十歳の大学入学前の浪人の時の夏のサイクルスポーツ誌の表紙1973年8月号の表紙魅せられてせられて、はや38年。
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大学入学後すぐにシルクキャンピングSC15-4を買ってもらって、
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1989年にトーエイ デモンターブルをオーダーして以来ギヤ比を
前 44×40×26、後13-21でしたが、私の年齢ももうすぐアラ環です。
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思い切って今年はレシオを換えてフリーホイールを交換することにします。
フリーホイールはマイヨール ノルマンディの14-24にします。
このフリーは表面にノルマンディの刻印が入っています。
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しかも工具が従来のものとは違っていて、新たに専用工具が必要です。
形はアトムのものと類似していますが、口径の大きなものとなっています。
従来型ではフリーを外すのにハブシャフトを外さなければ工具を取り付けることが出来なかったことへの改良です。今度はフリーホイールを外すときにシャフトを外す必要はありません。
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レイノルズチューブの歴史

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以下の文章は以下のサイトの英文の翻訳です。
技術用語が出てきますので、多少読みにくいかとは思います。
 
                            レイノルズチューブの歴史
                                                                            クリス ローエ
  レイノルズ社の創業は1841年で、ジョン・レイノルズが釘のメーカーとして店を持った時です。事業は、彼が引退した後も、彼の息子のエドウィンとアルフレッド・ジョンが引き継ぎ、34年間続きました。悲しいことに、エドウィンは1881年に亡くなり、アルフレッド・ジョン・レイノルズが一人で経営していました。1890年にはアルフレッド・ジョンの2人の息子(ジョン・ヘンリーとアルフレッド・ミルワード)が経営に加わりました。
 
世紀末には、同社は釘事業で優れた評判を得ました。そして、アルフレッドM.レイノルズは同社を拡大してゆきました。1895年に、彼はその頃の多くのフレームビルダーを困らせていた問題である薄い軽量チューブをパイプを、接合する接合部分の強度を弱めずにを接続する方法について研究し始めました。それは、まさにレイノルズ社(すべての自転車メーカーの以外)の将来に渡り永遠に解決しなければならない問題でした。レイノルズがチューブの端の厚みを増やす方法を取り、その一方で、パイプの外径は増やしませんでした。これは、本当に大きな進歩でした。その時まで、フレームビルダーは、強度を得るために接合部分を補強するか、重くて厚い管を使うために、手でライナーを各々のチューブの端に挿入しなければなりませんでした。1897年にアルフレッドM.レイノルズとJ.Tヒューイット(会社の従業員)は、彼らの「バテット」チューブに関する特許を取得しました。
1年後に、アルフレッド・ジョン・レイノルズと彼の息子(発明の才のあるアルフレッドM.レイノルズ)はパテントバテットチューブ社を、ジョン・レイノルズ社から分離することに決めました。1902年に彼らは自転車チューブの最初のカタログを出版しました。一冊のレイノルズの誇られるカタログに載っているバテットチューブはわずか4 1/2ポンドの重さになっていました。自転車産業における競争は激しかったですが、レイノルズは良く知られているサイクリング誌によって最高であると認められました。やがて同社はハンドルバー(それは、その時に鉄でできていました)も製造します。
1914年に第一次世界大戦がヨーロッパで始まりました。そして、レイノルズ社は軍の自転車とオートバイのためにパイプを製造するために政府から契約書を受け取りました。1916年に彼らは航空機で使用するためにパイプを製造するという重要な契約を受けました。レイノルズ社は現代まで航空宇宙産業に密接に関わっていて、これらの契約は重要でした。戦争に関連する契約が増えたため、同社は本社を現在のより広大な場所に1917年の秋に移転させました:ヘイホールとして知られている大きなチューダー様式の家。その後休戦になり、休戦協定に調印することは戦争契約にとって終わりを意味しました。そして、これによりレイノルズ社はその製品の新しい市場を見つけることが必要になりました。開拓される市場のうちの1つは自動車市場でした。そして、レイノルズがますます人気が出てくるようになっていた自動車用フレームに使用するための管を供給し始めるのは長くかかりませんでした。世界が戦争集結の結果平和に戻り始めたので、1923年にバテットチューブ社は彼らの名前をよりすぐに分かる様に「レイノルズ・チューブ社」に社名を変えることを決定しました。1年後には、新しく名前を変えられたレイノルズ社は、「レイノルズH.M.クオリティ」を導入することによって自転車取引で得られた彼らの経験の一部利用して航空機用のパイプを製造しました。
このH.M.はハイマンガンで出来ていることを意味していました。そして、このパイプはすべてのレイノルズ社のこれまでのチューブセットよりもすぐれていました。この高いマンガンの含有とレイノルズの他の全ての後のチューブにおいて、クロームモリブデンが使われていない点は(使われていてもクロームだけ)、レイノルズパイプについて言及するときは不適当なこととして注意すべきです。適当な語は、マンガンモリブデンです。H.M.は、以後の11年間は最も優れたパイプでした。レイノルズのこのような活動は世界では気にされることはありませんでした、そして、1928年にレイノルズにとっては思いもかけないことにチューブインベスティメント社(T.I社としてより有名)になってから大きな反響が来ました。
レイノルズは、英国空軍の要求に応ずるためにアルミニウムを細工し始めました。しかし、レイノルズがアルミニウム自転車パイプを生産したことは過去に2年間だけでした(アルミニウムは大きな荷重を加わる自転車にとって理想的な材料であることからほど遠いからです!)。彼らの航空機利用への努力のより早く出た成果は、伝説的な「レイノルズ531」チューブセットの1935年の開発でした。チューブセットは、現代まで人気が続いています。しかし、531の人気はメーカーの意図とは関係無く起こりました。それは、責任者で金属技術者のマックス ビッグフォードが航空機用パイプの溶接技術を持っていたことで、彼が優れたサイクルチューブセットを作る潜在能力を持っていた。ディレクターのオースチン レイノルズが一緒に仕様書をまとめ上げました。531の開発は、サイクリスト ツーリングクラブ(CTC:英国)がサイクリングのスポーツの発展に最も賞賛に値する貢献をしたものとして、レイノルズに対して表彰状を与えたように重要なことでした。
1930年代後期には、当時のいかがわしいドイツ軍のグレートブリテン担当の指導者達の注意を引いていました。そしてすぐに、英国のスーパーマリン・スピットファイアー戦闘機の材料として導入されました。スピットファイアーはその時におけるエンジニアリングの驚異でした、そして、レイノルズがその生産にパイプを供給するように求められるのは当然でした。1939年内には、ドイツとの戦いが回避不能に見えました、そして、レイノルズは、初めてこれまでに、自転車用のパイプの生産をやめることを強制されました。第二次世界大戦が拡大したので、レイノルズはその社員を増やして、新しい工場を開いて、24時間体制で生産を維持しました。これらの大変な時期に、また、かなり多くのレイノルズ社の従業員もホームGuard(米国国家警備隊と同様であるが、完全に英国の本土の防衛にだけ専念する組織)に勤めたことは注意すべきです。実際、それほど多くの従業員は、レイノルズ社の人間としてホームGuardに進んで参加しました。
戦争の間に、レイノルズ社はへのスピットファイアー本体からそれに搭載するPIAT(バズーカ砲の一種)の発射部分に使われるほとんどの管の生産をしました。全部で、レイノルズは合金管で77,000,000フィート(14,602マイル)と鋼の管で53,000,000フィート(10,038マイル)を生産しました。これらは、戦争中に2,100人未満の従業員を数えた当社の労働力によって生み出されました。戦争が結末向かうにつれてレイノルズ社の生産も急速に減っていきました、そして、1947年に、アルミニウム管の生産を取り扱うために、彼らは別々の会社(「レイノルズLight Alloys」)をつくりました。
1958年に、ルクセンブルクの選手であるシャーリー・ゴールは、レイノルズ531で作られたフレームにまたがって、トゥール・ド・フランスで勝利(当時の記録では平均時速22.8km/h)しました。これは、フレーム材料としてツール・ド・フランスおける完全な支配となることの始まりを意味しました。1958~1991年に(レイノルズのフレームパイプを使って勝利を得た年)、レイノルズパイプが、26人のツール・ド・フランス勝者の自転車で使われました。アンクティル、メルクスとイノーは、彼らのツールの勝利(インデュラインも、1991年に彼の最初のツール勝利でそれを使いました)で、すべてレイノルズを利用しました。
レイノルズ社がレイノルズ753パイプの開発でより優れた性能の材料を供給できたことで、従来のレイノルズ531パイプに比べ1976年までなかったような優れた点に注意する価値があります。753は、179,200psi(コロンバスSLXの121,000psiと比較して)の最高抗張力において非常にすぐれた熱処理管です。熱処理プロセスも、伝統的な作り方ではなく銀ロウ使いより低温で作業する必要があります。これはより慎重が熱管理をしないと753を使うことができないことを意味します。実際、753のパイプをレイノルズから購入させておかれる前に、フレームビルダーは、テストサンプルを最初に提出しなければなりません。ビルダーが認められれば、彼らはレイノルズ(多くのフレームビルダーの間の誇りを得て)によって保証されます。1977年に、753の開発に成功した後、「レイノルズ社」に名前を変えました。753が高度な製法を必要として、大量生産に不適当であるので、今でも531パイプは非常に人気があります。サイクリングのスポーツに対して貢献したとして、レイノルズ531が「Guidon D'Or」(ギドンドール/金色のハンドルバー賞)を1980年に受賞しました。この賞はこれまでわずか3社(プジョー、BPフランスとペルノッド)しか受賞していません。そして、その前の4回はフランス国外の会社に与えられました。
1980年以降、レイノルズ社は入門レベルのレース自転車を目的とする501パイプの色々な種類のパイプを発売しました。チタンを複合物した新しい853まで多種多様なパイプを開発しました。レイノルズ社は、より重いライダーと短距離選手に対応するためのオーバーサイズパイプ(731os)、以前のパイプを復刻いした(708クラシック)チューブセットも導入しました。彼らは、タンデムとマウンテン・バイク使用できる様に、753の管の使用範囲も拡大しました。更に、パイプの提供を2ダース単位で供給できる様にしたり、レイノルズはダブルバッテットのチタンとアルミニウムパイプを提供します。
レイノルズ社は、本当に革新的な伝統を待っています。つまり、彼らは本当に新しくて、ちょうどマーケティングによって得られた要求に応ずることのために新しいチューブセットを新しい製品を開発しています。それは、結局、40年以上が531パイプの販売と753パイプの間で過ぎた点に注意する価値があります。それは、ちょうどレイノルズ社を他の顕著なイギリスの会社(例えばブルックス社とキャラダイス社)と同じクラスに入れるくらい長命です。そのような製品は、彼らのマーケティングの強さよりもむしろ彼らのデザインの知性のため、製品の発売の数十年間も競争力を保ちます。彼らはファッション、流行とラベル(「レトロ」を含む)にも流されず、単に所定の目的が利用できる最高の製品であり続けます。
        This article originally appeared in the Rivendell Reader, issue 6.
Reprinted with permission. Thanks G.P.
 

高見山に行ってきました

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本格的な雪のある所に行こうと思い、でも小南峠は何度も行ってるし・・・、と言うことで27日にakutaさんが行かれました高見山に一人で行ってきました。
ローカルな冬山ですが、登山者が40人ほどいました。全員樹氷を見ることが目的です。
登山口です。でも雪が少なく期待薄です。
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予報に反してあいにくの天気になりガスがかかって下界もかすんで見えます。
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頂上近くまで来るとなんとか樹氷が見られます。
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頂上での展望は良くありません。
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頂上にはお昼頃到着しましたが、登山者が多く、風も少しあり湯を沸かす場所も無く、下にある避難小屋で食事にしました。
もう一度登頂することにしました。

銀閣寺に行って来ました

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銀閣寺に行って来ました。私は京都出身ですので、子供の頃から数度行ってますが、家内が奈良の人間で一度も行った事がないと言うので行って来ました。断っておきますが、自転車とは全く関係のない記事です。
 今日は春日で心地良く行って良かったです。
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白砂を富士山形に固めた砂盛りは向月台(こうげつだい)、 その手前に広がる波のように敷かれた砂盛りを銀沙灘(ぎんしゃだん)といいます。月見をする時に月の光が反射して、その光景を見て楽しんだ様ですが、これが作られる様になったのは江戸時代中期とのことで、寺の創建は15世紀であることを考えると、誰かが思いついて作ったのが今に続いているのでしょう。
 それにしても、金閣寺は金ピカなのに、銀閣寺は銀が何処にも使われていません。
初めて来た時に「どこが銀閣なんだ??? 山荘か離宮では。」と思った記憶があります。
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大改修が行われてなかなか見応えがあります。山側からは市街を見えてダメです。
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入口の茶店で家内と一緒に抹茶と京菓子をいただき早春の京都を楽しんできました。
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大峠から宇陀、芋ケ峠_野外ランチで

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私の所属していますクラブの例会に行ってきました。とは言っても担当は私です。
私の所属すているクラブは、これまで屋外でバーナーを使って料理することが無く、今回はサイクリングの原点に返って屋外活動の楽しさを感じてもらうために立案しました。
 昼食は各人お湯を沸かしてカップラーメンを作ってもらうことにしました。私はフライパンで野菜炒めを作る予定です。
 
普段とは違い装備も多くなりました。フロントサイド2個です。車は1975年製のアルプスです。
レイノルズ531の3本セットでシートステーはダブルテーパー、タイヤはミシュラン42Bです。
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明日香村から談山神社に向かって走ります。
当日の参加者は私の意を感じてないのか、重装備ではありません。ううう~~~。
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でも私はめげません。野菜炒めを作ります。
写真はフライパンに具材があまり有りませんが、実は「野菜炒め完成」と私が叫んだら、あっという間に無くなってしまったのです。
 結局私は一口も食べることなく完売しました。人間の本性を垣間見た気がします。みんな「うまい」と言ってくれました。
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この後、三茶屋から芋ケ峠の南側の休憩所で全員にモンカフェを飲んでもらい、明日香村に戻りました。
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次回の担当でも同じ様に野外活動を取り入れた例会にすることにします。 

アルプス キャンピングのボトル増量

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アルプス キャンピングのボトルの容量を増やしました。
これまでは、通常のボトル2本で500ml×2=1リットルでした。
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良く考えて見ると、フォーサイドのキャンピング車で、テントを張って調理するにはボトルの容量が全く足りません。そこでミノウラの1.5リットルのペットボトルまで取り付けられるボトルケージを2個購入して取り付けることにしました。
最初は1.5リットルのペットボトルを2本付けようとしましたが、フレームサイズの前三角内のスペースの関係で、1.5リットルが1本、1リットルが1本で合計で2.5リットルになりました。2.5倍です。
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ごらんの通りシートチューブは上方一杯に上げて、何とか取り付けられました。
問題はダウンチューブです。1.5リットルのボトルではケージとボトルがシフトレバーにぶつかってしまい無理です。
 手持ちの1リットルのペットボトルですと上手く収まります。
 
ただし、簡単に取り付けられたのではなく、フレームのボトル台座の位置は変えられませんから、アルミの平板を加工してみました。
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平板の上2個の穴はM5のタップを立て、下2個の穴はφ6で開けて加工し、ケージを現物合わせで一番良い位置にします。
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ただし、1リットル用のケージは長すぎるので切断します。それに併せてボトルを固定するボルダーの位置も移動させる必要があります。
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組み立てた状態です。

カンパ工具でなくても

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写真はヘッド小物の取り外し工具です。
電気工事用に薄鋼管19を使ってます。金属ノコで半分に割りを入れ、先端を広げただけのものです。
約30年前に作ったものです。何度も使ってますが、全く問題ありません。これでいいんです。
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次はヘッド小物圧入工具です。
使用材料はM12のズン切りネジ、M12の長ナット、M12のワッシャ(標準径6枚、大軽2枚)です。
これは約3年前に作ったものです。ヘッドチューブに差し込んで、両方のナットをスパナで回すだけです。
何度も使ってますが、全く問題ありません。これでいいんです。
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大改造ビフォー

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我が家は築25年。すでに建築されていたモデル住宅を購入したため、そのまましばらく使っていました。
2002年12月に庭の半分をつぶして駐車場を当初の1台から2台用に改装しました。
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でもこれは屋外の改装で、今回初めて宅内の改装です。
改装場所はキッチンです。併せてオール電化にします。
以下の写真はビフォー(改装前)です。キッチンの上には食器洗浄機や浄水器が乗っており、電気配線や水の配管が走りかなり作業性が悪いです。キッチンも最も廉価なものが使われていますし、換気扇もフードは外した状態ですが、長年の油汚れでコテコテです。
写真ではすでに取り外していますが、上部収納棚の下に取り付けられていた20Wの蛍光灯等々。
水屋も古くさいデザインです。
さあ、どうなりますか....。
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大改造アフター

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3月19日から23日で完成しました。写真では分かりませんが、全体を白に灰色の木目調で統一しました。
キッチンはパナソニック製で食器洗浄機、IHクッキングヒーター、LED照明付きです。蛇口は浄水器内蔵です。
 
こういったリニューアルではよくあることですが、天井と壁のクロスも張り替えました。
おまけに手前の食器棚も新しくし、収納量は2倍はあります。食器や機器が全部収まりました。
勝手口も以前のカーテンからロールカーテンに変更しました。寸法が特殊なためサンゲツにオーダーしました。
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引出はキッチンと食器棚のすべてが、オートクローズ付きです。
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冷蔵庫の表面もプラスティック用のコンパウンドで磨きました。
マイワイフは毎日ニコニコです。
 
上の収納棚に手が届かないのでこんなのも買いました。天板が広く、折りたたむと両方の足が密着し、薄くなり収納しやすくなってます。
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屋外のエコキュートです。水道と温水は地中に埋めましたので、配管が少なくスッキリしています。
昨年末に300kgの砂利をひきましたが、今回新たに75kgの砂利をひきました。
一戸建ては違う部分にも費用がかかります。
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雨の花見

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今日は友人と花見に行く予定で、近鉄大和八木駅に集まりましたが、あいにくの雨と雷です。
仕方なしに、近くのミスター ドーナッツでの茶話会に変更しました。うまい具合に11時半頃には雨がやみました。
近くの洋食屋で昼食を摂った後同行のNBさんの要望で藤原京跡に行くこととしました。
 途中、上ツ道と横大路の交差点にある「八木 札の辻」に立ち寄り、完全に復元された江戸時代の旅籠を見学しました。
 写真の「止まれ」と道に書かれているのが横大路です。京都にも横大路がありますが、こちらが平城京構築時に作られた道で、いわば元祖です。現在の道幅は3~4m位で往時の面影はありません。
 
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すぐに藤原京跡に到着しました。朱塗りの柱が内裏にあった建築物の柱跡です。奥の小さな森が大極殿跡です。藤原京についての説明ははぶきますが、ここにあったすべての寺も含めた建築物は平城京に分解して運ばれました。従いまして、ここにあった建物は現在平城京で復元されています。ここの都はわづか16年だけしか存在しませんでしたので、ここの地中からは歴史的な遺物はほとんど発掘されません。
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近くに資料室があり、復元模型が展示されていて、ボランティアの方から藤原京について聞くことができます。
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この後、NBさんと分かれて明日香に桜を見に行きました。
 
遅くなりましたが、今日の車はGRAND BOISプロムナードです。使いたい部品を思いつくままに交換して遊ぶための車です。重量は約10kg。ちなみにフロント変速機はサンプレのロッド式です。
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まだ曇っていて写真写りが悪いですが、梅と桜の両方が満開です。
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英→仏バルブアダプター

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英→仏バルブアダプターを購入しました。
現在所有している「アレックス モールトンAPB」は英国の規格で作られています。
従って、タイヤのバルブも日本で普及している英国バルブです。現在所有している自転車15台の内この1台だけが英国バルブです。 インフレータを専用に用意することになり、以前に床置き用のインフレータのヒラメアダプターの内部の部品も英国バルブ用に用意しまたし、携帯用インフレータも新たに用意しました。
 これだけのためにサイクリングに持って行く時の装備を変更するのは大変面倒ですよね。
 
この車に使われているタイヤは20インチで、ホームセンターで売っているのは英国バルブのチューブです。
フレンチバルブに変更すると、リムのバルブ穴が大きく、フレンチアダプタを付ければいいのですが、すでに複数の英国バルブのついたチューブが手元にあるし---。
ぐるぐる考えを巡らし、結論出ました。
 
ビバの英→仏バルブアダプターを英国バルブのチューブに付け替えることにしました。
右上がそのアダプタです。
左上はフレンチバルブ。
左下は英国バルブ。
右下はその中に入っている弁です。
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英国バルブに交換しました。
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うーーーむ。これでいいのだ。胸の中の何かつっかえたものが無くなった気分です。

平石峠

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近くにありながら以前から行こうと思っていて、なかなか行けなかった平石峠に行って来ました。
この峠はどちらかというと小さな峠ですが、担ぎがあり、周回ルートを作りにくくやっと行くことができました。
コースは以下の通りです。
自宅→平石峠(377m)→平石城跡→大阪府ため池観測局→NTTドコモ太子無線観測局(410m)→竹内峠(288m)→長尾神社→自宅
奈良県側からの平石峠へ行く分岐です。
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二つ目の分岐を右に行きます。
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ここから1km位行くと地道に変わります。反対側の平石の村まで続きます。
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峠は大変良く整備されておりベンチまであります。ここから竹内峠に行くこともできます。
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平石の村です。
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すこし走ると太平記にも出て来る平石城跡です。
http://yama46.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-2987.html
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竹内街道を走ります。歩道がかなり整備され、万葉の森公園まで車道をあまり走らずにすみました。万葉の森公園の前の山道をひたすら登って行きます。標高差約200mの登りです。
NTTドコモ太子無線観測局からは富田林市方面が一望できます。真ん中にPLの塔が見えます。
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竹内峠まで下ってきました。
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ここからは竹内峠旧道を走り長尾神社まで行きます。
(旧道が整備されているのはここまでなので)
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竹ノ内街道は奈良時代には飛鳥まであったのですが、現在は長尾神社から東の高田川までの道がほとんど残っていません。
 
今日は、かなり気温が高く夏日でした。ポカリスエット900mlが無くなってしまいました。

コンピューター更新しました

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いつも出張や講義、プレゼンに使っている携帯用のパソコンを、Acerのネットブック「Aspire one D150」からSONYの「Duo11」に更新しました。
2台の主なスペックは以下の通りです。
この違いは圧倒的です。価格の違いも圧倒的ですが。
Aspire one D150 AOD150-Bw73 の製品画像
VAIO Duo 11 SVD11219CJB の製品画像Aspire one D150                       Duo11
ディスプレイ :10.1インチ                   11.6インチ
CPU   :Atom N270(1.6GHz)  i7-3537U(2GHz)
RAM :2GB                                8GB
ディスク :HDD 160GB                 SSD 256GB
Windows :XP 32bit                      8 64bit
重量 :1.18kg                             1.665kg
発売年  :2009                           2013
何と言ってもOSがWindows8がですので、今までのものとは全く使い勝手が違います。
う~~~ん。う~~~ん。う~~~ん。
わからん。
WiFiも初挑戦です。
何と言ってもタッチパネルの操作に慣れるのが大変です。ついついキーボードとマウスの操作の癖が出てしまいます。
NECのワンボードコンピューター「TK-80」が私の最初のコンピュータですが、37年経つとここまで進歩するんですね。
 
      NEC TK-80
ディスプレイ :7SEG LED x 8
CPU   :8080A(1MHz)
RAM :2KB
ディスク :カセットテープ
Windows :無し
発売年 :1976
このコンピュータはタッチパッド形と従来形の良いとこ取りをした様な作りで、ワンタッチで切換が出来るのが気に入ってます。携帯出来るコンピュータとして究極的な形ですね。
併せてレーザーポインタも入手しました。
Bluethooth通信ですのでワイヤレスで使えます。
各ボタンはPowerPointにおいては以下の様な機能になります。
ESC :一覧画面モードに切換
F5 :プレゼン画面モードに切換
PgUp :次ページ
PgDn :前ページ
片手だけですべての操作ができます。
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軽合ベース用カンパアダプタ作りました

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軽合ベース用カンパアダプタ作りました。
有名なゼウスの軽合ベース用シートピラーを真似て、カンパニョーロの2本止めのレコードに使えるアダプタを作りました。材料の材質はA7075(通称75S)です。
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実際に組み立てた状態です。
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後ろから
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横から
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前から
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下から
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三津峠に行ってきました。

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三津峠に行ってきました。と言ってもこの峠はかつぎで越えなければなりませんので、サイクリングと言うよりハイキング&サイクリングです。
自宅→明日香村→談山神社→鹿路越え→三津→三津峠→宮奥ダム→小峠→女寄峠→自宅
今日は例年の様な気温でしたが、風がきつく結構疲れました。
 
今日は三津峠の担ぎに備えて自転車はアレックス モールトンAPBです。
明日香から談山神社へ行く途中です。
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少し仕様変更をしています。
マップケースを付けました。
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先日タイヤチューブに英式→仏式バルブアダプタを取り付たので、カーボンファイバー製小型ポンプをリュックに入れて、これまで付いていたポンプを外しボトルケージを取付ました。
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途中、大台ケ原山が見えます。
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三津峠への道です。ここから宮奥まで担ぎです。三津からの方が高低差が少なく担ぎが楽です。
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三津峠です。尾根の途中の道で、写真の左が三津側、右が宮奥側です。
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宮奥側の登り口です。
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このあたりは標高が高いのか、まだ桜が残っています。
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小峠です。本当に小さな峠です。民家に挟まれた状態でどっちかというと坂です。
写真の奥側が女寄峠です。
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次回は逆コースで電波塔に言って見るつもりです。

ランデブーアレックスサンジェに参加しました。

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ランデブーアレックスサンジェに参加しました。
18日は指定のチェックポイントには行かず、新金谷駅に車を置き、大井川沿いに東側を川根温泉まで走り西側を戻りました。新金谷駅はSLが現役で走っていることで有名です。
鉄道会社から払い下げられた車両も走っていることでも有名です。
下の写真は近鉄特急の車両です。
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お待ちかねの夜のイベントです。
開始早々料理にサプライズがありました。なんと高足蟹がでました。大阪の海遊館で生きているのを見ましたが、まさか食べられるとは。
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おまけにこんな大きなキンキ(金目鯛)も出ました。
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この後初めての車は参加者全員にお披露目しなければなりません。
今回は3台です。私の自転車も見てもらいましたが、私が説明しているため写真はありません。
どの車もすばらしいの一言です。
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19日は他の参加者と一緒に宿屋から桜ケ池までの往復をしました。
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途中のマリンパークからは富士山を見ることができました。写真ではかろうじて写せました。
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モールトン サドル交換

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4月に野迫川村の林道を走ったときに、モンベルの尻当て付きのニッカーで、サスペンションが付いているので大丈夫だと思って、サンマルコのコンコールで走ったのですが、お尻が痛いので交換しました。
交換したサドルはイデアル2003茶です。果たしてその結果は???
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NIVEXについて

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アレックスサンジェで昔から使われていることで有名なニベックスのロングアーム型が手にはいりましたので私なりにニベックスショートアーム型とシクロランドナー5Vを比較して見ました。
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NIVEX製変速機の概要
1938年のカタログには、5速用でキャパシティ28T。会社はパリ郊外のヴィルモンブルあると書かれています。右下のNIVEXのマークもパンタグラフをイメージしたものなっており、マークの上の文字は「小さな工房、大きな仕事」と書かれています。
また、左下のプーリーの絵ですが形状が丸プーリーよりも歯付きプーリーの方がチェーンにフィットし走行時の音が静かになると書かれています。(注:シクロランドナーは走行時には結構ガリガリ音が出ます)
 右のハブとエンドの絵は上がコンストラクター向け、下が一般向けと書かれています。コンストラクター向けはチェーンレストとエンドが一体型でフレーム製作時に使われます。下の写真はマキシカーのハブの実物です。
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(The Dancing Chain 2nd Editionより)
パラレログラム機構を持った世界で初めての変速機である。
アレックスサンジェのエルネストシューカ氏が特別仕様の変速機を作らせた。
レイモンド・ヘンリー氏によると、1947年か1948年のパリサイクルショーでトュ-リオカンパニョーロが見て、このパラレログラム機構をヒントにグランスポルトを開発して1951年に発売した。
 
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            名  称                 プーリー間隔   質量
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ニベックス(ショート)                            53mm        253g
ニベックス(ロング )                            71mm        245g
シクロランドナー5Vガイド付きジュラルミンアーム     78mm        215g
質量はニベックス(ショート)の方が重くなっています。ジョッキープーリとテンションプーリの間隔は短いのですが、テンションプーリの後方部分の脱落防止用のガイドが重量増の原因です。
 ニベックス(ロング)はプーリー間隔が18mm長くなっていて、5mmの穴が8個空いた厚み0.6mmジュラルミンの板でサンドイッチする構造になっています。ジョッキープーリとアッパーボディは同じです。ニベックス(ロング)とシクロランドナー5Vのジョッキープーリとテンションプーリの間隔は良く似た寸法です。ニベックス(ロング)には上下のプーリーにグリスニップル(オイラー)が付いています。なんとニベックス(ロング)はアームもステンレスで出来ておりニベックス(ショート)に比べ超豪華ですね。
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 ニベックスの取付方法は写真のものはチェーンステーにバンド付けになっています。アレックスサンジェではチェーンステーに直付けですので両方の取付方式のものがあったか、アレックスサンジェでバンド式のものを切り取って取付けていたかのどちらかでしょう。どちらの取付方式のものも複数のメーカーの自転車に取り付けられています。
 アレックスサンジェがニベックスを使用する様になったのは私の考えは以下の通りです。
アレックスサンジェは当初はシクロランドナーしか使っていませんでした。1938年頃に高性能なニベックスが発売されましたが、キャパシティが足りず使用されることはありませんでした。
その後エルネストシューカ氏がニベックスの性能の良さと調整の容易さに魅力を感じ、特別仕様のニベックス(ロング)を作らせました。この変速機はシクロランドナー5Vをベースに同じ位のキャパシティを取れるものにしました。
 
(余談)
 ニベックス変速機の最後は、ニベックス社が廃業したときに、エルネストシューカ氏の見ている前で地面に穴を掘って変速機を埋めたとのことです。
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